3.11


現在3.12となっておりますが。


なんというか、迷った。この記事を書こうかどうか、この話題を出そうかどうか。


最初に言っておきたいのは、あまり重く堅苦しい記事にするつもりはない、ということ。


そういう議論やモラル云々を重視した記事はそういう人たちにお任せします。


僕は僕なりの、3.11についてのお話を。



そう、まぁ今日も普通に出勤だった。


朝は眠かったし、時間も遅刻ギリギリだった。本当にいつもの朝だった。

普通に会社に着いて出勤簿押して、普通に車に乗って出てった。

そう、忘れてた。今日が3.11だってこと。

不謹慎だろうか。叩かれるかもしれないけど取り繕うつもりも無い。これがありのままの僕なのだ。


その時間もあまり覚えてない。某大企業の敷地内に入ったのが確か午後の2時半頃だっただろうか。


所長から電話が来て、他愛もない話をして。

これがまた人をやる気にさせるのが上手な所長でして、今日も仕事をとても褒めてくれて。


燈 「所長が支店長にドヤ顔出来るように頑張ってますよっ」


所長 「嬉しいこと言ってくれんじゃねーかw」



なんてことを5分ほど。


そして、電話切ったら程無くして敷地内に全体放送。


そこでようやく思い出した。そうか、今日だったか。


2分ほどだっただろうか。静かに黙祷した。



形式だけじゃなかったと、ここは断言したい。


生きたくても生きられなかった人がいたこと。


生きたくても、それが叶わなかった。


何よりそれだけが強く胸に残った。


大切な人を亡くしたとか、家を失ったとか。


なんと言うか、そういうことはあまり心に浮かばなくて。


「生きる事が出来なかった。」


それだけ、ただそれだけが不思議と胸の中に留まったまま黙祷してました。



関東に住んでる僕は、正直、やはり実感が沸かない。

被災した人たちのために何かしよう、と

そう思えるほど、・・・うん、情けない話だけど自分の日々を過ごすだけで精一杯で

そう思えるほど立派な人間でもない

精々コンビニのつり銭の一部を箱に入れるくらいが関の山のようで

きっと何日かすればまた1年経つまできっと忘れてしまうんだろうと思う。



ただ、今日改めて、自分は生きてるんだって思った。

あまりに当たり前のことだけど

それが出来なかった人が、確かに、確かにいて。


その意味も理由も重みもまったく理解出来ないまま

「その人たちの分も、生きるんだ」って

なんとなく、そう、本当に軽く

申し訳ないくらいに軽く、でも、ふと確かにそう思った。


生きていればこそ、きっとなんだって出来るんじゃないかなって

比較的恵まれた環境にいるからこその楽観的な意見だとは分かっているけれども

少なくとも自分で命を絶つような事は、してはいけないよね。


3.11で亡くなった方々のご冥福をお祈り申し上げます。


スポンサーサイト

0 Comments

Post a comment